蝉

かまんよ 青木

る日の夕方、蝉(せみ)の幼虫がかまど近くの地面でひっくり返っているのを見た。

抜け殻かと思ってみたがとてもよく動く。こんなに元気なのに何でひっくり返っていたんだろうと思ってまもなく自分の手に蟻(あり)が数匹絡み付いてきた。あわてて絡み付いた蟻を振り払い、幼虫に着いた蟻も残らずつまみとった後、ナラの木陰の根本の方に幼虫を引っ掛けた。しばらくしゃがんで見ていると、蝉の幼虫はナラの木を少しずつ上がってきた。元気を取り戻していたようだったので、安心して家の中へ戻った。

次の日の朝、父は予定通り近くまで狩りに出かけていくという。父は兄を連れて狩りに行くと言うが、兄は憂鬱そうだった。

こで思い出したことがある。昨晩、村のはずれの共同トイレに行った時、兄は周りに聞かれまいと、声を押し殺してすすり泣いていた。幼いころからのともに過ごしていた兄の様子と、憂鬱そうな顔をしている今を思い比べて、理由がはっきりとわかった。兄は狩りをしたくないのだ。どちらかと言うと、母と私がしているような種を蒔いたり、水をやったり、収穫したり、果実の皮を向いたり、物物交換所のノラおばさんのところで色々な話をしたりするのが好きというような性格だった。父と兄が狩りから戻ってくると、ふたりは決まって横になる。父は目をつぶって横になっているが、兄は母と私の方を恨めしそうに何度も見ていた。昨日の兄の涙声を聞き、そう確信した。

「そろそろ晩御飯の準備にかからないといけないね、母さん。」

私がそういうと、


「それじゃあ私はキリのいいところまでやってから、かまどへ行くよ。さきに行っておくれ。」


と母は応えてくれた。

ぼんやりとした気持ちでかまどへ向かった。
かまど近くにあるナラの木の足元に目が行くと、昨日の夕方、木陰にかけたはずの蝉が地面にいた。抜け殻かと思って近づいて見てみると、恐ろしいほどの数の蟻が集っていた。蝉は無残にも原型をとどめていなかった。
 一方で兄の方を見ると、相変わらず農作業をしている母を目で追っていた。

「兄さん悪いんだけど、私ちょっと足をひねってしまったみたいなの。私の代わりに母さんの片付けを手伝ってあげて欲しいな。」

 の隣にいた兄は私の話を最後まで聞き終えるまでもなく、軽い足取りで母の元へ向かった。父は相変わらず寝ていたが目を閉じているだけのような気がする。母は兄に片付けを手伝ってもらい、なんだか嬉しそうだ。兄にとって新しい世界が見えるのであれば私の嘘はそんなに悪くないんじゃないのかな。家族のそれぞれの気持ちが考えながら、今日はいつもより少し時間をかけて晩ごはんをつくろうと思った。 2021年7月25日